2014年1月31日金曜日

【連載企画】現役大学生がきく "CIジャパンスタッフの「世界を舞台に働く」"とは vol.1



【今回のCIジャパンスタッフインタビュー】

日比 保史(ひび やすし)

兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学理学部卒業、デューク大学環境大学院修了。㈱野村総合研究所、国連開発計画(UNDP)を経て、20034月より、国際NGOコンサベーション・インターナショナル日本プログラム代表。現在CIジャパン代表理事兼CIバイスプレジデントとして、CIジャパンが行うプロジェクトの全体管理やビジョンの策定、大学での講義や講演、省庁への政策提言、企業アドバイザーを行うなど幅広い業務を担っている。



私の中高校生時代

木勢 まず、日比さんの中高生のときを振り返ってみたいと思います。
    どんな学校生活を送っていましたか?

日比 なんやろ。普通の子に比べたら、学校生活は冷めてたんちゃうかなあ。授業中はひたすら寝てたわ(笑)部活動は中学、高校と水泳部。専門は平泳ぎ。あとは小さいころから天文好きやったから、物理学研究部(通称“物研”)で月に一回天体観測実習の時だけ顔を出してたかな。学校に割といい天体望遠鏡があってね。あと音楽も好きで、いつもウォークマンで聴いてたよ。ジャンルは洋楽。U2、ビリー・ジョエル、スティ―リー・ダン、ピーター・ガブリエルとか特に好きやったね。

木勢 授業に冷めていた….ということでしょうか(汗)それでは天文好きになったきっかけはありましたか?

日比 実は幼稚園から小学校4年生まで父の仕事の関係でアメリカにいたんやけど、カリフォルニア州のパサデナというところで大部分を過ごしてね。パサデナには知る人ぞ知る、NASAのジェット推進研究所があって、現地の小学校からそこに社会見学に行ったりしてね。学校でいろいろ宇宙について学ぶ機会があったから、天文好き、宇宙好きになったんやろね。

写真①:アメリカでの自身の誕生日パーティーでの一コマ
(左から4番目が日比さん)
大学生になってから

木勢 そうだったのですか。では、大学に進学してからはいかがでしたか。

日比 大学生時代は冷めた学生がひどくなって、徹底的に学校に行かんかった(笑)だから試験になると、悲壮な顔をして友達に助けを求めてね。何とか卒業出来たった感じやったね。

木勢 学校外で何かしていたということでしょうか!?

日比 ひたすらバイトしてたね、ゴルフのキャディ。週に一回、従業員もゴルフさせてくれる日があったりしたから、ゴルフも結構してたなあ。学校は、語学の授業と実験(←物理学科やったからね)だけ出て、あとはバイト。で、夏休みは、放浪の旅に出てたね。

木勢 放浪の旅!?

日比 いわゆるバックパッカーね。夏休みが始まる前に出発して夏休みが終わってから帰ってくる感じで、2カ月半ほどを、大学2回生の時はアメリカ、3回生の時はヨーロッパ。YMCA、安宿、あとはユースホステルに泊まってね。ヨーロッパでは野宿もしたなあ。アメリカは子供の時にいてから、ちょうど10年ぶりやったから、懐かしかったなあ。

木勢 何か印象に残った出来事はありますか?

日比 う〜ん、フロリダのキーウェストでスピード違反をしてつかまったことかな(笑)あとは、グランドキャニオンからヒッチハイクでラスベガスまで行ったこと。

木勢 お一人で行かれたのですか。

日比 アメリカは友達といったけど、ヨーロッパは1人で。一人旅って、案外ご飯も一人で食べることなくって、ユースホステルに泊まってる世界中から集まるバックパッカーたちと仲良くなってご飯行ったりすることが多かったなあ。アメリカと違って、ヨーロッパは初めてやったからとても新鮮やったね。

木勢 毎年夏の放浪の旅を大学2年、3年とされてきたわけですね。では、4年生となったときはどうでしたか。就職活動もあったのではないでしょうか?

日比 当時はバブル景気の真っただ中で、会社の方から電話がどんどんかかってくるわけ。深夜とかにも人事部から電話かかってきたりしてね、わが社に是非って。学校ほとんど行ってなかったのに、応用物理学科だから研究職の求人もたくさん来てね。でも、もし研究職に就職してもさすがに何もできないと自分でもわかってから(笑)、これじゃいかんなと、思い立ったのがアメリカ留学。まあ、子ども時代を過ごしたアメリカに帰ってみたいという気持ちが強かったんやけどね。留学しようと決めてから、何を勉強しようかと思ったくらい。物理学の延長ではなく、学部時代の専攻が異なっていても履修できる修士を探して、「MBA」と「国際関係」そして「環境」の3分野に留学先を絞ってね。ほんとは星好きやから天文学やりたかったけど、成績も悪かったし、あかんなと思った(笑)


木勢 その3つの専攻からどのように選んで行ったのですか?

日比 当時、MBAが流行り出していて、流行に乗るのはいややなと(笑)。国際関係じゃ仕事見つけるのが大変そうやし。で、当時は環境問題が徐々にクローズアップされてきてて、個人的には気候変動問題が気になったりしていたこともあって、環境学がええんちゃうかなと。その中で選んだのがデューク大学の環境大学院。

木勢 日比さんは海外生活のご経験もありますし、特に不自由なく留学生活を送れたのではないですか??

日比 いや〜英語は普通の留学生よりはできたかもしれないけど、読む量が半端やなかった!毎週200ページの本を3冊くらい読んでくることが求められて。読んでないと授業についていけないやけど、まず読めない。最初の学期はひたすら読むことだけに必死やったね。で、だんだん速く読めるようにはなるんやけど、内容が全然頭に入らない。ようやくコツをつかめたのが、1年目が終わるころやったかな。だから特に1年目は苦労したし、試験の点も悪くて、卒業できないかもって思ってた。未だに、単位が足らない夢見るからね(笑)

木勢 寝ていられなかったわけですね……

ファーストキャリアでの経験

木勢 初めての就職先として入社したのは野村総合研究所(以下野村総研)だったそうですね。どのような環境で働いていましたか?

日比 最初は、リサーチコンサルタントとして、関西支社の地域開発事業部に配属。地方自治体の政策立案とか環境系の仕事したり、あとは地域国際化がテーマの調査を手がけたり。部署は、マスターとかドクターを持った人ばっかりで優秀な人が多かったけど、変な人たちが多かったかな(笑)。個人事業主の集まりみたいな雰囲気があって、自主性が重んじられた環境やったね。本社と距離的に離れてる分、余計その雰囲気が強かったんかなあ。

木勢 特に何も困らず働けたということですか?

日比 いやいや、忙しくて寝る間もないし、休みもない。しんどかったよ。体力的に辛かった。帰るのは毎日早くても終電とか、徹夜も週に23回はしていたし、土日も両方休みなんてほとんどなかった。


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連載は続きます。次回は「次なる現場での驚きの経験」から連載第2弾を掲載する予定です。乞うご期待!!