2014年11月1日土曜日

【連載企画第2弾】 現役大学生が聞く”CIジャパンスタッフの「世界を舞台に働くとは」” vol.2

vol.1 では、名取さんの日々のお仕事内容について伺いました。さてここからは、名取さんの青年時代にクローズアップ。どのような経験をしてきたのでしょうか.....??


「じゃぁ、アメリカ行きます」


木勢:それでは名取さんの大学時代について伺いたいと思います!

名取:大学はウィスコンシン大学マディソン校に通いました。卒業後も修士号、博士号
   まで同じ大学で取得しました。大学入学当初は天文学をやっていました。天文学
   のために留学したのです。そもそもそうしたいと考えたきっかけは、
1986年のハ
   レーすい星です。その時に天文学に関心を持ちました。それより以前は筑波万博
   の東芝館に刺激されて工学系のことに興味がありました。「天文学をやりたい」
   と高校の地学の先生に聞いたら、「日本の大学にいても結構アメリカに行って研
   究している人が多いよ」と言われたので、「じゃあアメリカ行きます」って、高
   校生の時の浅はかな考えですよ(笑)。
どうせ行くのだったら初めから行っちゃえば
     いいかなって。
国内で専攻として天文学があるのは数えるほどしかなかったけど、
   海外を見ると結構あるので、海外大学進学の方向がいいのではないかと。
      
      こういうわけで、天文学を専攻したくてアメリカのウィスコンシン大学マディ
      ソン校に進学したわけですが、ウィスコンシン州は環境学や環境問題に関する政
      治的な活動も活発なところ
ですぐに影響を受けました。大学
2年生のころに書いた
      知床伐採問題に関する論文をきっかけに、環境学の方向にも進み始めていて、大
      学
3年生のころから環境学の専攻も始めました。Honors Programに入っていたので
      すけど、そのディレクターが以前、
1 新潟にあるサザン・イリノイ大学にいた
      ということで、同郷感を持っていました。その人に紹介されたことが大きな原因
      で環境学(
Biological Aspects of Conservation Major) をはじめました。4年の時に知
      床の調査をするための奨学金をもらって、
2週間毎木調査をしました。修士の時
      も「保全生物学と持続可能な開発」というプログラムを専攻しました。経路とし
      ては物理、数学系できて、生態学が生物との接点です。生態系をシステムとして
      考えるところが物理の考え方とそんな変わらないと思っています。
生物学者か
      と聞かれたら、違いますと答えますね。

木勢:それにしても突き抜けた行動力ですね。どのようにしてウィスコンシン州の大学を選んでいったのですか?

名取:日本の高校生だったので頼るところはランキングをみるのですよ(笑)。天文学のランキン
グを見て、上から順番に7校に願書を出して、受かった中でウィスコンシンが一番良かったからです。じいちゃんが留学したいということ、支援してくれました。両親は反対気味だったけど、いまはその気持ちが良く分かります。本人も大変ですが(無謀なだけですが)、送り出すほうも大変だったと思います。
修士の後、日本に戻りましたが、ドクター課程でも同じ学校に行ったのは、愛着があったからだと思います。修士のときのアドバイザーも受け入れると言ってくれたのでやりたい研究がやりやすいし、勝手がわかる方が早いだろうと。マディソン校は景観生態学の分野では指折りですし、環境学全般にそろっている。州都だし、環境議論と行動が活発のところも理由の一つです。

木勢:ランキング順ですか….。大学入学にあたってかなりの英語力が求められたはずです。そもそも英語はどのように身につけたのですか?

名取:語学は中学の2年の終わりくらいから、自宅学習教材で勉強していました。高校時代は、新潟県上越市にあった英会話スクールに通っていました。あとは海外文通を高校のときにやっていましたね。文通をやっていると、相手に伝えなければいけないから、真剣に考えるのですよ。海外生活の経験は、高2の時にアメリカのニュージャージ州のペンパルの家にホームステイした以外はなかったです。ちなみに先日、ニューヨークに出張したときに、当時のペンパルと20年ぶりくらいに会うことができました! 

木勢:英語には自信があったようで羨ましいです。留学当初から万事順調だったのですか?

名取:留学最初は苦しみました!わたしは本読まない人なのです(笑) 最初の学期に取った授業で、例えば環境学入門では、課題文献を1学期に6冊読まされました。1年でも1冊読まない人が、6冊。それに論文も読まされて。それが一番つらかったですね。勉強以外でも、新潟からいきなりウィスコンシン州マディソンに行ったのだけど、山がないことで少し気がめいったこともありましたね。でも田舎町だったので、新潟と似たようなところもありました。キャンパス内に、Picnic Pointというメンドータ湖に突き出した半島があって、それが自然保護区になっているのですけど、そこに出かけていって、精神を回復させていました。今になって考えると、生態系の文化的サービスに救われていたわけです。自然って大事だとつくづく思います。

木勢:大学時代には勉学以外にどんなことなさっていたのですか?

名取:学部時代は、宇宙物理学の研究室でアルバイトしていました。天文学の専攻でし
   たからね。「
Adiabatic Demagnetization Refrigerator」という観測機器をロケット
   で大気の影響のないところまで打ち上げて、微細なX線電波を観測するプロジェ
   クトを手伝っていました。ロケットの部品の設計書を
CADソフト使って作ったり、
   先生の設計書を基に実験機器を作ったりしていました。
別の先生ですが、お世話
   になったアドバイザーは、スペースシャトルの観測プロジェクトを提案して、
   「これをきちんと遂行するには科学的なところを分かっている人でないといけ
   ない」といって、2回もスペースシャトルで宇宙に行った人でした。

※1 2014年現在既に閉校

vol.3に続く。

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