GEF-Satoyamaプロジェクト 「マダガスカルおよびインド洋諸島」 訪問記(後半)

科学応用マネージャーの名取洋司です。「マダガスカルおよびインド洋諸島」生物多様性ホットスポットを訪問した訪問記の後半です。

◇◇◇セイシェル◇◇◇
 
6月22日。モーリシャスでの視察を無事に終え、夕方のフライトでセイシェルに移動しました。セイシェル便は、ビジネスクラスにアップグレードされ、非常に快適でした。2時半の短いフライトですが、おいしい夕食とお酒を頂き、ご機嫌でセイシェルに到着した次第です。現地のパートナーのGreen Islands Foundation (GIF)と空港で待ち合わせ、滞在中のスケジュールを確認しながらホテルに移動。この日はこのまま終了。


セイシェルを取り巻く400万ヘクタールがこのプロジェクトの舞台


モニタリングを続けているポイント

ここでのプロジェクトは、零細漁業による絶滅危惧種の混獲を減らすための、行政と漁師による共同管理計画を作ること。そのために必要になる、水揚げされる魚の種や大きさを島内の決められた市場や水揚げ場でモニタリングしています。セイシェルでは、島の周りに400万ヘクタールに及ぶ浅瀬が広がっていて、ここでは零細漁業しかできないことになっています。したがって、このプロジェクトで作成される共同管理計画は、400万ヘクタールの海域の保全と持続可能な利用にむつびつきます。

6月23日。朝8時にGIFと待ち合わせ、9時にセイシェル環境・気候変動省にてGEFのOperational Focal Pointと会議。GEF-Satoyamaプロジェクト全体の紹介を私がした後、GIFが自らのプロジェクトを紹介をしました。
環境・気候変動省での会議の後、GIFのオフィスに移動し、プロジェクトの進捗の確認をしました。会議が始まる前に、GIFの理事会長であり、GIFの母体である会社をの経営者から、会社の紹介を受けました。個人所有の島のリゾート事業を行っているところで、環境の取り組みもいろいろ行っていることを聞きました。しかし、一番記憶に残ったのが、1泊1500ドルもするリゾートだということです。その時は驚きましたが、調べてみると、セイシェルでは驚くほど高いものではないようです。
さて、プロジェクトの会議本体。進捗確認は無事に終わり、改善点などを話し合いました。ランチの後、会計の検査。会計報告にある支出から、いくつか抜き出して裏付け書類を確認するのですが、私にとって決して面白いものではありません。ともあれ、面倒なことはこれで終わり。
宿に戻ってから、本部の地球環境基金(GEF)実施機関のスタッフとプロジェクト全体の打ち合わせをして、夕食に出かけました。


6月24日。朝6時に宿を出て、市場にて、GIFが実施している魚のモニタリングを視察。市場に持ち込まれる魚の中に調査の対象になっている種(つまり、IUCNのレッドリストによる絶滅危惧種と、地元の漁師が気にしている種)があると、素早く所定の計測をします。全長、ひれとひれの間の長さなど、数か所を測り、写真を撮ります。ひれの一部を切り取り、DNA分析に回すこともあります。

シュモクザメを素早く計測する研究者
セイシェルで取引される魚の約8割はこの市場を通るそうですが、別のところでも取引されています。例えば、船から直接購入。価値が高いものは、直接漁師から買うことが多いようです。


 中央市場の他に、水揚げ場の近くの道路脇にも小さな市場があります。車でやってきて手早く買い物ができるということで、人気があるそうです。こんなところでも、モニタリングをしています。

セイシェルではこんなところです。今後、モニタリングデータがまとまったところで、まずは漁師と対策を議論し、次に行政を交えて管理計画を作成していくことになります。

6月25日、本部の同僚はこれで出張終了。この日は、GIFの母体が用意したクルーズを楽しむ中、私だけ午後のフライトで、ナイロビ経由でコモロに移動です。

◇◇◇コモロ◇◇◇

コモロにも立派なバオバオの木があります
コモロは、今回の出張の中で一番移動面で不安があったところです。それは、深夜12時近く、首都モロニに着いたところから現実味を帯びてきました。空港で荷物を受け取るとホテルの名前のプラカードを持った運転手のタクシーで宿泊予定のホテルに行きました。ホテルに着くと、受付はとっくに閉まっていて、警備の人一人しかいません。フランス語圏なので、英語で話もで来ません。ところが、タクシーの運転手がすごく親切で、警備の人に話をしてくれ、何とか部屋に入ることができました。翌日(6月26日))は朝6時に出発。当然、受付は開いていないので、言われるままに警備の人に支払い、約束の時間通りに来てくれた前の晩のタクシーに乗り、空港の国内線乗り場に。早すぎたのか、カウンターがあくまでしばらく待たされました。ラミネートされた搭乗券をもらい、待合室でアンジョアン行のフライトを待ちました。案内があったのでゲートに行くと、もらっていた搭乗券はアンジョアン行でないと!間違った列に並んでチェックインしたようです。でも、支払い済のチケット控えを見せて、名前確認したうえで搭乗券渡していたのではないのか?幸い、その日は2時間後にもう一本便があり、会議の予定もなかったので我慢してさらに待つことにしました(他に何ができる?)。結局空港で5時間待った後、14人乗りのセスナ機で30分フライトし、アンジョアンに到着。乗り合いタクシーでようやくホテルまで。(これが次に起こるさらなくトラブルの伏線だったのです)

コモロでは、DahariというNGOとプロジェクトを進めています。アグロフォレストリーや農業技術支援を行い、Moyaの森というKBAを守っていこうというものです。農家と協力して、絶滅危惧種の生息環境を保全する取り組みも進めています。

6月27日 午前中、Dahariのスタッフとオフィスでプロジェクトの進捗を確認。午後は、プロジェクトが支援しているコミュニティーを視察しました。デモ畑で、様々な作物を栽培して農家に紹介し、栽培の技術支援もしています。Dahariのスタッフがコミュニティーに住み込みで支援するのがDahariスタイル。
デモ農場から1時間ほど山に入ったところに、IUCNレッドリストで最も絶滅が危惧されるレベルであるCRと評価されているリビングストンオオコウモリの宿り木を守っている場所があります。あいにく、この時はオオコウモリの群れは見られなかったのですが、下の写真の中央に一頭写っています(おそらくわからないと思います)。この土地のオーナーは、このオオコウモリが生息していることを非常に誇りに思っていて、宿り木のあるところを喜んで保全にまわし、周辺の環境を改善するために農地を森林に転換することに同意してくれたとのこと。この日も、私に自慢のオオコウモリを見せたく、見つかるまで帰ろうとしませんでした。ありがたかったです。
リビングストンオオコウモリ、わかりますか?
プロジェクトは、様々な取り組みと連携していて、活動資金の調達やアウトリーチに役立てています。例えば、地元のロックバンドの協力を得て、CDの販売から寄付を受ける仕組みを作っています。購入者(=寄付した人)の名前は、植林された木に付けられます。
セシルさん、ご寄付ありがとうございます!
6月28日 午前中、Dahari事務所で会計の検査をし、全日程終了!
午後は、宿の人たちがいろいろ街を案内してくれました。昔、国を外敵から守っていた砲台や大きな貨物船を見学させてくれたり。人脈の広い人たちで、砲台はカギがかかっていたのですが、管理人と話して開けてもらいました。船は、部外者立ち入り禁止のところ、ご主人がその昔この埠頭のマネージャーだったということで顔パス。巨大船好きにはうれしいプレゼントでした。
夕飯は、Dahariの担当と海を見ながら過ごしました。長い出張も、これで終わり。。。。と思いました。この時は。
アンジョアン島の夕日
6月29日。朝、アンジョアン島から首都モロニまで飛び、そこからケニア、ドバイを経由して帰国の予定でした。ところが、空港に行くと、乗るはずの便の搭乗者リストに私の名前がありません。空港まで運転してくれた宿のマダムが助けてくれました。個々で人脈の広さが登場。空港で働いている知人にお願いしてチケットオフィスと話をしてもらいました。「この人、いい人だから、きっとなんとかしてくれる」といって帰っていったのですが、結局街に戻ってチケットオフィスに行かなければならなくなりました。そのオフィスの近くで勤めているのがご主人。私に付き添ってオフィスに行ってくれ、フランス語のできない私の代わりに交渉してくれ、圧力をかけてくれ、3時間後、ようやく同じ日の別のフライトに席が取れました。3時間、つきあってくれたんです!しかし、気になるのはモロニでの乗り継ぎ。もともとの計画では8時間あった乗り継ぎ時間が、ゼロになっています。アンジョアンの航空会社が用意したプランがアクロバチックでした。乗り継ぐ予定のケニア航空のフライトが1時間遅れているから、時間通りにアンジョアンを出ればまだ間に合う。モロニでは地上職員が案内するから、大丈夫、乗り継げる!とのこと。アレンジを任された若いスタッフは、空港まできていろいろ報告してくれました。しかし、、、、折り返しでアンジョアンから出るはずの飛行機が1時間遅れ、このプランは破たんしました。モロニに着くとカウンターには誰もいず、話ができる空港関係者もいません。私のドコモの携帯は、コモロでは全くつながらず、電話もできません。どうにもならないので、タクシーに乗り、とにかくインターネットが使えるホテルにいってもらいました。こんなタクシーの使い方、初めてでした。ようやく到着した宿では、部屋で使えるはずだったネットが使えず、ロビーで職員用の回線をオープンしてもらい、トラベルエージェントに連絡。一部買い替えとフライト変更をしました。

こんなバタバタをしていた中、インド人の保険会社の人と知り合いになりました。その人の同僚が日本に駐在していたということで、電話してくれて、少し話をしました。翌日(6月30日)ホテルからタクシーに乗ろうとしていると、そのインド人にまた会い、前の晩に話した人もちょうど空港に行くから、一緒に行けばよいということになりました。フライトも同じだったので、会社の車に同乗させてくらいました。モロニ発のエチオピア航空も、2時間遅れました。私はこのモロニであった日本にいたことがあり日本語も少し話すインド人と、合わせて約5時間、話をしていました。気になるのは、また乗り継ぎです。私はかなりむかむかしていましたが、乗り継ぎ地のアディスアベバでは、予定便の1時間後にもう一本、次の乗り継ぎ地のドバイに行くフライトがありました。人をかき分けながらその便のゲートまで行くと、搭乗が始まっていましたが、係の人に話したら乗せてくれました。荷物も大丈夫。その上、ドバイの空港では航空会社が違っても(エチオピア航空➡エミレーツ)荷物は自動で積み替えられるというのです。半信半疑でしたが、羽田で無事に受け取れた時には、少し感動しました。(エチオピア航空は、乗り継ぎができなかった人のためにこの便を用意しているのだと思います)

最後の最後で大変なことが起こりましたが、コモロの多くの人に助けられました。イスラム教の国ですが、助け合いの心を皆持っているんだなと感じました。プロジェクトとは関係の無い話が長くなりましたが、本訪問記、これで終わりにします。

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