2014年2月5日水曜日

【連載企画】現役大学生が聞く”CIジャパンスタッフの「世界を舞台に働くとは」” vol.2

第1弾では日比さんの若き頃にクローズアップしました。さて、現場でどんな経験をしたのでしょうか


次なる現場での驚きの経験。

木勢 野村総研をお勤めになった後、UNDPへ転職なさりましたね。何が転職のきっかけになったのでしょうか。

日比 もともと5年くらいで次の仕事を考えようと思ってたから、5年経ったころに、国連のJPOJunior Professional Officer。国連若手職員の登竜門的な制度)っていう制度に応募したら、たまたま受かってね。会社は辞めようと思ったんだけど休職扱いにしてくれて、それで1999年から2年間、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)本部で働いた。

木勢 UNDPでは何をしていましたか?

日比 アジア太平洋局の環境担当というポスト。環境担当と言っても専門性が磨かれるというより、プロジェクト管理でメインで、予算執行状況どうなっているとかを現地とやり取りするのがメインで、仕事そのものはあまりおもしろくなかったかなあ。

木勢 野村総研時代と同じく多忙な日々でしたか!?

日比 それがUNDPは遅くとも18時にはみんないなくなるわけ。でも、僕は働き始めた当初は仕事もわかんないし、野村総研時代の働き方が抜けてないから、一人残ってイーストリバーを見下ろす個室オフィス(←ぼくみたいな下っ端でも個室オフィスが国連のスタンダード)で気分よく仕事してんやけど、誰かが忘れ物をしたとかでかえってとりにきてね、夜20時くらいに。

木勢 日比さんをみてその人は何か言ったのですか?

日比 その人から「仕事は業務時間中にやるものだ。みんなが仕事してない間に働くなんて、抜け駆けしているように思われるぞ」ってすごく怒られた。ひたすら仕事をすればいいものじゃないっていう考えがとても新鮮やったね。それと、国連では仕事は常に競争っていうのも、感じたね。

木勢 日本の職場ではあまり考えられないことかもしれませんね(笑)ほかに印象的な出来事はありましたか?

日比 あとは、物事がとにかく前に進まない。例えばFAXを送るにしても、アシスタントがなかなか送ってくれないこともあるし、政府相手に出すのであれば、いろんな人のチェックが必要になってくるわけ。いろんな上司のサインをもらって初めて外に出せるみたいな。FAX出すのに下手すると、1週間とかかかるわけ。

木勢 FAXを出すのだけで1週間も!!もっと効率的にできそうですが。

日比 ぼくも民間企業の感覚から最初はその非効率さが信じられなかってんけど、だんだんわかってきたのは、国連というところは「当たり前」がないってことやねん百何十か国の加盟国があって、僕がいたアジア太平洋局だけでも世界中の国籍の人たちが働いていて、みんなバックグラウンドも労働倫理も違うなかで、阿吽の呼吸というか、仕事上こうするのが当たり前というのがないわけやね。そんな環境の中で仕事を前に進めていかないといけない。

木勢 お互いの刷りあわせがないと前にすすめないということでしょうか。


日比 百何十か国のステークホルダーがいて、一国一票が原則の国連という組織では、一つ一つのことがらを理解し合い、確認していかないといけない。それは時間もかかるし、手間もかかるし、効率的ではないのかもしれないけど、効率的にやることが必ずしも正しいことではないということを身に染みて感じたよ。

写真①:UNDP勤務時の国際会議で参加者とともに
   (場所:イラン)
木勢 UNDPでの2年間勤務を終えたあとは、どうしたのですか?

日比 UNDPでの契約を延長するという話もあったんやけど、その時UNDPは大規模なリストラをやっていて、環境分野のポストをすごく減らしてたから、それだとその先心配やな〜と思って。そうしたら、ちょうど野村総研の環境コンサルティング部にもどしてやるから戻って来い、という話をもらって、東京本社の国土環境コンサルティング部に戻ってきた。

木勢 仕事内容はUNDPに行く前と変わりましたか?

日比 主に気候変動政策、環境をメインの仕事になってね。環境省、内閣府、外務省なんかと仕事してたね。でも、それだけじゃ自分の人件費を十分稼げなかったから、環境以外の仕事もしてね。例えば、企業のコールセンターの改革のコンサルティングとかね。環境の仕事半分、民間企業の仕事半分みたいな感じで、2年やったかな。

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        連載は続きます。次回は「CIジャパンに移った経緯」から連載第3を掲載する予定です。乞うご期待!!