値札なき富の源泉、哀しいかな自然資本

© Doug Wertman

  みなさん初めまして! 今年1月からインターン生として、CIジャパンの保全活動に参加している大学3年生の井原祥太と申します。私は今後、「自然資本」に関する記事をシリーズで執筆します。第1回目は、自然資本とは何か、それを巡る問題、そしてなぜ自然資本を守ることが私たち人間にとって切実であるのか、についてお伝えします。
 
@ Shota Ihara

 自然資本とは、人間の社会活動を根底から支えるために自然から生み出される資源のことです。では、自然「資本」と「資源」は何が違うのでしょうか。「資源」とは人間の暮らしにもたらされる物資を指し、「資本」とは資源の中でも生産活動の元手を意味する経済的概念です。空気、水、森林、土壌、植物、動物、微生物、鉱物、化石燃料、これらは全て自然資源ですが、例えば森林を、テーブルを製作する際の「木材」として捉えると、それは自然資本とも言い表されます。

 自然資本は、生態系からもたらされる人々への便益である生態系サービスと、生態学的プロセスに依存せず地質学的プロセスから起こる人々への便益である非生物的サービスをビジネスに提供しています。例えば森林は、生態的サービスとして企業に木材を供給します。他にも、繊維、花粉媒介、水調整、気候調整、レクリエーションなどがあります。一方、動植物の死骸が地中で変質してできた化石燃料は、非生物的サービスとして社会のエネルギー生産に貢献します。他にも鉱物、地熱、風、潮流などがあります。このように人間社会が生産活動を行うとき、それらは自然資本によって作られているのです。


 しかし、短期的な利潤を追求する経済活動は、自然資本をなおざりにしてきました。なぜなら、金銭的価値のついていない自然資本を守ったところでビジネスにはならないと思われてきたからです。

© Shota Ihara

 自然からもたらされるものには価格がつかない、では価値もないのでしょうか。ここでいう「価格」とは売買する物についている金額を指し、「価値」は物の重要性や大切さを表します。森林は、水源を豊かにし、土砂崩れを抑え、清浄な空気を私たちに与えてくれます。世界自然遺産に登録されている屋久島の縄文杉は、それに加えて、地域住民の精神的な拠り所として彼らの心を支えてきました。現在は多くの観光客が、縄文杉を始めとする風光明媚な自然を求めて屋久島に足を運び、現地の活気を生んでいます。縄文杉を包む、屋久島の値札のない自然は、環境的、経済的、社会的、精神的価値を地域住民にもたらしているのです。今まで「タダ」と見なされてきた自然資本ですが、その価値は値段には置き換えられない大きなものであることが分かります。

 © Kabacchi/Creative Commons Flickr 


 当然のことですが、私たち人間は自然に依存する生き物です。自然資本が失われれば、経済的な損失のみならず、社会や文化の基盤も失うことになります。お金を得たところで、自然がなくなれば豊かな生活を送ることはできないのではないでしょうか。これからは、利益ばかりを追求するのではなく、自然資本の価値に光を当て、それを無闇に搾取しないよう努めなければなりません。つまり、経済活動は、自然の豊かな恵みを損なわない範囲で、人間と社会の幸福を実現する為に行われる必要があります。その為には、企業が自然資本の重要さを自らの文脈で理解し、適切な対応をとっていくことが求められます。

 既にそうした取り組みを実践している企業は、様々な負の影響を地球や人間に与えてきた従来の経済活動から離れ、持続可能な発展へと舵を切っています。次回は、自然資本を軽視してきた経済活動はどのような負の側面を持っていたのかを具体的に見ていきます。


次回以降もぜひお読みください!


井原 祥太

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